市長選挙マニフェストを語る市民の集い感想

今回の特別講座の感想は越谷市長選挙候補者の方々が参加されなかったのは残念ですがその候補者を何故支持するのかと云う事を市議会議員の方々が話した事は面白いと思いました。議会の必要性を訴えている様にも感じました。毎朝、駅頭に立ち呼び掛けを行う事のパワーは今までに無いものを感じました。身近な方々へのお付き合い参加を脱し、新規参加者を募る事への挑戦は素晴らしいと感じました。しかし私は特別講座での事は後の体験により市長を選出する事へは結びつかず私の観点で考えたいと思いました。理由は9月29日に「東京ディズニーシー」へ家族で始めて行った事にあります。
初めて障がいを持つ長女をバギー(車椅子の様なもの)に乗せて訪れた際、その時間に行われたショーが長女の目線からは見えませんでした。しかしそれを見ていたスタッフの方が私達の所へ来てくれて親切丁寧にわかり易く長女の為に観やすい所を説明してくれました。又、レストランで食事をした際は長女は固形の物は食べる事が難しいけれどお店の店員の方に申し出ると親切丁寧に状況を聞いてくれて長女の食べれる様に食材にミキサーをかけてくれました。味も美味しかったです。「ディズニーシー」へ行った事から感じた事は入場料は健常者も障がい者も同じですがスタッフの皆様の配慮で限りなく平等性を追求する事で来場者の皆様も余裕が感じられ優しくなれる空間を創れると思いました。入場料が市民税ならみんなが納得して支払っているのではとも感じました。それはミッキーマウスがリーダー、いわゆる市長であるならばその理念によりキャラクターの仲間やスタップの皆様がその想いを共有しているからとも感じました。その理念、と云うか感じた言葉はつい最近、オリンピック招致のプレゼンテーションで「おもてなし」と云う言葉がありましたが「ディズニーシー」には「お気遣い」と云う言葉が存在した様に思います。その事から今回の越谷市長選挙候補者の皆様からその理念と云うか言葉が聞けたらその視点で投票したいと思いました。
小口(小口 高寛)

当日のパネルディスカッションでは、パネラーから何故その候補者を支持するのかということが述べられ、コーディネーターが示す争点に対するパネラーの意見が述べられた。全体から受けた感想は、政経セミナーの方向に収赦していくような印象があり、もっと違いが明らかになると思っていたことが、そうではなかったので自分の方が返って分からなくなってしまった。懇親会の場で、候補者とパネラーの見解の幅が相当あるということが指摘されて、そういうことなのかと思った次第であるが、この問題はこれからの選挙戦の中でさらに明らかにされるべきことだと思う。パネラーが第三者的なスタンスで臨むのではなく、自分の立ち位置を明らかにして臨んだ故に候補者と支持者のパネラーとの違いも見え出したのではないかと思う。一人の候補者だけの会では市民にとってそのような違いにも気づくことはないのだと思う。候補者が出れないという次善の対応を強いられた集会だったかもしれないが、市民にとってはこれまでになかった候補者と支持者の構造までが見える会だったと思う。
岡村(岡村 宣夫)

●争点設定を事前にした上でのパネルデ、イスカッションだったので、突っ込んだ、やり取りになったのではないかと思う。参加者からの感想では「おもしろかった」という声が複数あったが、それは突っ込んだ、やり取りがあったからだろう。
●一方、会場からの質疑応答の内容は、ディスカッションの争点設定を踏まえない内容のものがほとんどだった。時間がとれなかったので、一巡することしかできなかったが、二巡すればもう少し違う意見も出たのだろうか。やや論点を詰め込みすぎたのは反省点。
●予定候補者が来られなかった理由は三者三様だが、このような場が開催されることの価値が伝わっていないことを残念に思う。
辻(辻 浩司)

3人の市長候補の政策、実効力、選対の性格などを事前に把握してきたが、この間の選挙で続いている「争点設定」が候補者からは望めない事態である。
しかし、争点は市民から設定していくのであり、その争点設定の過程に市民がどこまで関わるのか、が極めて重要である。
その意味で政経セミナーの先日の集会は、スタートである。ここから更なる「公共空間」をどう設定するのか、本来ならば政経セミナーを機会に、JCの公開討論会や各選対での集会や会議で、議論されるべきだが、それも多くは望めない。
市長選挙と言う越谷市民にとって最大の方向を決定する舞台で、この様な状況を生み出してしまった原因はどこにあるのだろうか。
勿論、市議会や政党の責任は極めて大ききが、それでは何故政治団体がそうならないのか。これらの政治指導者は正当な選挙を通して選ばれてきており、市民の一票で決定されてきた。
選挙は確かに投票によって決定するものだが、市民は4年に一度、しかも争点設定がないまま僅か一週間の選挙期間で、さらに名前の連呼や身内の決起集会で判断せざるを得ない状況では、ますます「選びたくても、選べない」という事になる。
但し、それは逆に言えば、選挙から選挙までに期間に、市民が日常的に地域の課題にコミットしていない証左でもある。つまり、自治や地域共同体の現場の課題に参加せずにコミットは出来ない、と言う事だ。
政経セミナーの今後の課題は、どの領域にどの様な市民が日常的に参加するのか、問題設定や、その方法やメニュを提起することだろう。
白川(白川 秀嗣)

第2回ローカルマニフェスト市民検証大会の感想、の中に、市民感覚と行政・議会感覚との如何ともしがたい乖離と、越谷の閉鎖性ゆえの市民自治の目をつむ市政運営・議会運営・市長の政治力及び議会力が可視化されつつあるとの思いが書かれており、これら越谷の民主主義を後退させる要因を打破していくための、政経セミナー非バッチが果たす役割の大きさと、実行力・実現力を持たなければならないことを記憶している。
今回の3候補の政策の中に、今ある「ゆるい財政規律」との自覚を持ったリーダー候補はおらず、現職市長の政策もさほどの危機感を感じた対応とはなってない。
むしろ、数字に対する弱さを感じてしまう。したがって、自覚のないところにその再建策などあろうはずもなく、債務返済への道筋を市民に示し、財政規律のレベルを上げ、市民サービス低下への理解を求めていく姿勢がまったく見ることが出来ない。
この点では、市民はこのテーマに市長選政策上のコミットメントは期待できない。
今回市長選での争点は、本来中核市移行の是非を問わなければならないはずだし、その時期ではないか。なぜに現職高橋氏は8項目の重点目標に載せられないのか?
中核市移行に関連した庁舎問題への説明責任が生じるからか?ここを争点にできない現職の事情と同じように、松沢候補にもすでに自民党市議会派が市長案を追認してしまっていることが見えてくる。政経セミナーはこの点を可視化したが、現職にチャレンジしている対立2候補は、強く争点にしてほしいものだ。
明らかに中核市移行への市民への告知、認知度の低さ、デメリット論、庁舎問題における手続きの未熟さと強権的、市民合意不要論は、決定的要因になりうる課題であることを「特別講座」はマネージしている。その点では登壇した3名のパネラーは、いずれも不十分な説明に終始した状況を、参加した市民はどう見たのであろうか。
現状、課題解決の優先順位すら、見誤っている高齢化一直線の越谷市政を許すほど国内の状況は甘くないことをバッチ諸氏は、肌感覚で感じてもらいたい事を考えさせられた特別講座であった。
当初、市長選候補者を揃えての講座開催から、二転三転、竜巻被害から事情が大きく変化し、3択選挙になったことを受けて、その都度、開催すら危ぶまれた状況を乗り超えて、市民への選択肢を提起した政経セミナーの試みは、すなわち、「未来に投資する社会へ」 の実現に向けた、“やり抜く意志力“を感じた今回の講座開催であった。
この場に参加できたことの満足感と、もっと、もっとやり方があったのではないかという反省とごったになった疲労感ではあったが、しかし「お世話様でした。と言える人がいるこのセミナーはこれからも越谷の民主主義を、小さいが力強く支えていく事だろう。
西川(西川 孝一)

第12回特別講座は、目前に市長選挙を控えて立候補を予定している各候補予定者がそれぞれ政策を語るというものから変更し、その関係者からその政策について語るという形式となりました。結果として2つのことが言えるのではないかと感じた次第です。
1つめは、候補予定者本人ではないだけに主張にやや客観的な要素が入って弱くなった部分がある反面、逆に本人ではない他者が話す分、本人以上に政策に対しての思い入れが出たのではないか、ということ。
2つめに、政経セミナーの運営委員がそれぞれ語ることとなった結果、もともと政経セミナーとしてのマニフェストの検証作業を進めてきた人間同士の共通認識をベースにして個々の政策を語っていたのではないか、ということ。
2つのことから改めて考えると、市民にとっての市政、市民にとっての市長、市民にとっての議会、というものが政経セミナー運営委員会にはほぼ共通の認識になっているので、やはり各候補予定者に対して政経セミナーのマニフェストへの見解と政策の実施の可否について伺いたかったということです。今回はかないませんでしたが、少なくとも市長選挙後の議会では改めて新市長にその見解を問う必要があります。
また次回の市議会議員選挙までに、マニフェストの精査を加えつつ政経セミナーとして本当に取組む考えのある人間を増やす必要があると考えます。
菊地(菊地 貴光)

越谷市での今までの市長選挙のイメージは「0、1」の選択で「いいか、悪いか」のみで、ここはいいけどここは悪い、こっちの方がこれはいいなど、政策、経験、実績、将来性など、様々な要因を評価して総合的に選ぶという感覚にありませんでした。つまり、市民の選ぶ基準が閉じられた情報やコミュニケーションの少なさで曖昧になり、深く考えた上での投票にはなっておりませんでした。
今回の集いにより、よりクリアになった越谷市の問題点とともに、未来を考える事ができたと感じています。
しかし、支持者の弁論が支持する理由や弁明に力点が強く、市民が責任や役割を感じるようにはならず「誰かが何とかしてくれる」「誰かの責任」という意識に語りかける事は出来なかったと感じます。マイナスもプラスも誰を選択したとしても生じることであり、その責任と一緒に、市民の役割を具現化できるように今後は取り組まなくてはいけないと思いました。
岡田(岡田 英夫)

市長選挙マニフェストを語る市民の集いの感想ですが、参加出来ませんでしたが、日程の調整が大変だと感じました。特に今回のテーマは1ヶ月後に選挙と言う事で候補者のスケジュールなどが合わず残念だったと思います。
武藤(武藤 智)

3人の市長候補者に来て頂けなかったことは残念ですが、何故その人を応援するのか、比べて聞ける機会はないのでテーマ設定は良かったと思います。
ただ、高橋現市長を応援する辻議員の回答ばかりになったため、他中村議員を応援する菊地議員、松沢元県議を応援する江原議員の回答が霞んでしまっていました。候補者に直接質問をするわけではないので勝手が難しいですが、会場からの質問時間を増やすなどして回答を均等とは言わずとも回すべきだったと思います。
また、今までの取り組みや、掲げているマニフェストは立派なものでも、これから越谷を政経セミナー的な理念の目標地点まで先導を切って行ける方なのかははっきり聞きたかったです。人格や功績が素晴らしいからといって進行形な実行力があるとは言えないので、その点で、選ぶべきでないと思うからです。
参加者からの感想など
「国政で自民党が勝ったけど、越谷は民主党が強いのが習わしなのと自民党系の議員が二人だから票が割れて、やっぱり現職が強し、かな。応援するからにはもし市長になったらしっかり監視してもらわないとね。」
名倉(名倉 瞳)

「ローカルマニフェスト2011」市民検証大会感想

政経セミナー2年目・市民検証大会は、マニフェスト3つのテーマを参加者が徐々に理解しはじめたという効果を残し、3年目へとスタートを切った。
もちろん、これに加わった私たち自身にもいえることで、1年目よりさらに市民主導色を強めた分科会が、各チームとも実践できた事が大きい。
今回、「新しい公共」チームが果したリーダーとして分科会をリードした役割は、他の2チームを刺激し、市民主導をやって見せた効果は見逃せない。
一方、越谷における一般市民への関心度は、未だ極く少数に限られた範囲であり、市政への参加システムの未成熟さや、聞かれた市政、議会を謳いながら、その実、閉鎖性を取り去るには、まだ時間と何らかのショックを必要としていることを認めざるを得ません。
したがって、政経セミナーの広報活動能力の向上と実践力を持たなければなりません。議員や特定された市民限定のセミナーという位置づけではなく、多くの受益者市民を対象にしないかぎり、越谷の市民参加は前進しないはずであり、政治不信を発生させている最大公約数が参加できる集いを、模索していかなければならないと思います。その意味で10月に行われる越谷市長選でも起こり得る「選びたくても選べない」「投票箱に収まりきれない」有権者に分かり易い選択肢を提起し、その上で市民の役割と責任を訴えていく作業をバッチ・非バッチ協働で、どこまで実践することが出来るかではないでしょうか。
すなわち、誰を選ぶかではなく、市民がどの政策にコミットできるのかを選択するチャンスであり、その結果誰を選んだと言えることだと考えています。
ローカルマニフェスト3年目はスタートしました。32名のバッチ諸氏には市民が検証した結果を真撃に受け止めていただき、このように考えた一握りの有権者が「越谷がこうなっており、こうなって欲しいと発信している」ことを残された任期中の行動に置き換えて、議員活動に遁進していただきたいと思います。すなわち、少なくも32名のバッチ諸氏に検証結果を届けなければなりません。

「新しいしくみ」グループ西川

第11回特別講座参加者感想文

増大する医療ニーズ病院に求めるだけでは解決しない

①当日の感想
 本田先生は、日本では情報操作があり、NHKだから、新聞だからと安易に信じてしまうのではいけないということでしたが、本田先生の上げていた情報も精査しなければならないのではないかと思いました。「日本人の人口10万人辺りの障害リスク」のデータから、予算の使い道から医療崩壊阻止など夢のまた夢ということは正しいと思います。ただ、BSEなど、予算配分が大きいからこそ死亡者が少なく、税金が無駄に使われているとは一概には言えないのではないかと思います。また、出産に掛かる費用についても、車で500万円使うのは当たり前なのに命の重さが40万というのは高いでしょうか?ということでしたが、私は高いとも言えると思います。これだけ少子高齢化と叫ばれていて、子どもの数が少ないからたくさん産めとばかりに出生平均を挙げられ、周囲から結婚は?出産は?と矢継ぎ早に聞かれ、また中学生までの子どもは学費も医療費も無料などという政策が取られている中、始めの一歩にドカンと頭金を払うことになるのは、無責任な出産を推奨され、無計画に子どもを量産させようとしている社会に生きる中では費用を準備する間もないと思うからです。また、年収が200万円を下回る非正規雇用(若者に限らず)が多い中、明日の生活も分からないのに万単位のお金を捻出することは難しいのではないでしょうか。だからこそ本田先生の仰るような低所得者層の気持ちがわかるわけがない高所得の高学歴政治家ばかりが生まれてしまうのではないかと考えます。(所得者の方が出産数が多いのかは調べていませんが。)
 また、本田先生は「議員の方にもっと話を聞いて欲しい」ということでしたが、聞いてもらえないから聞いて欲しいというのは分かりますが、議員が聞いてトップダウン式に市民の生活を変えようとするのでは市民は納得するのか、理解しようとするのか、疑問です。市民同士で話を聞く方が受け入れやすいので、話を広める市民を育成する方に重点を置くべきではないか、また政経セミナーの理念からもズレているような感じがすると少し首をかしげました。
日本国内で、埼玉県が一番医師の数が少なく、先進国の中でも高齢化率を考えると以上に少ないということは今回初めて知りました。医療現場の忙しなさは医療現場で働く知人やかかりつけ医から聞き及んでいましたが、一刻も早く、次世代の医師を育成し、法律度外視の重労働をしなくてもいいようにしなければならないと思います。そのためにも費用の捻出が不可欠ですが、一部の方の遊びに使われている税金は我慢をして頂き、未来のために投資をする財政規律が必要です。
②周りの参加者からの感想など
 ディスカッションのメンバーはほぼ医療関係の方で、今回の話はわかりきっている、再確認したといった感じでした。ですので、持ち帰って周りに広めよう、共同体の一員としてどうにかしようといった、未来の子どもたちのためにという議論はされませんでした。
病院は悪くない、悪いのは現場を見てない行政だといった感じの感想が多かったように感じます。医師・看護師がもっと働きやすい場を作ってもらう、何年かは越谷市に勤めるよう規制をかける奨学金制度を作るなど、やってもらうことが中心に感想・意見として出ていました。それを実現するために、増税してもよいとは思っておらず、世界的に見て多く税金を注ぎ込んでいる分野から医療・介護に回すという考えです。
市民としては、大きい病院ばかりに行かず、近くの個人経営のところに行くようにするなどかかりつけ医を持つことが大切どよね、という意見がありました。
【名倉 瞳】

今回の特別講座についての感想は、求めるだけの当たり前の先は人は疲弊しやる気も奪はれて行くのではと感じました。多分、現代は技術の進歩が進み品質に対してもバラつきが少なく、自身のお金を払うとそれなりの商品が手に入る感覚を医療に感じているのではと思いました。人の手で行う事に対して完璧を求める受益者の姿を感じた気がしました。又、人が行う労働力が軽く、機械的に扱われているのかとも思いました。後、本田先生の面白く伝えないと聴いてもらえないと云う事が書いてあるインタビューの記事を拝見しましたが何か違和感がありました。なぜ、将来、あるであろう病気等になった時、苦しむ自分達に対し、自分達の生きる事に手助けをして頂く方が解りやすく伝え様とする事をするのか。多分、私達の多くは自身の事も人任せで生きているのかなと思いました。私は自身の出来る役割の中、共に参加し、考え、創って事の行く当たり前の先の必要性、『感謝、お互い様』を信じたいと思いました。
 次にグループ討議ですが現役看護師の方の言葉が今でも残っています。看護力が無い方が多いと云う事と、生きる事に対しは教えるが死に対しての教えは少ないと云う事です。その事は少なくともメリットだけを見て、デメリットに対して伏せてきた事に共通する事と感じました。どちらの事も背中合わせである事が私達の生きて流れて行く時間に存在するものと思います。お金を払うとご飯もコンビニエンスストアーで手に入る今、医療や看護や介護もお金で解決するのでしょうか。私は自分らしい生き方を求めるなら、人との触れ合いで感じる感覚も忘れてはならないと感じました。
【小口 高寛】

第1期~第2期への政経セミナーは、「国から地方へ」課題が移行している点が印象的です。特に第7回の高橋市長「中核市移行の現状と展望」以降、未来へ投資する社会への越谷市の対応について、1)自立しようとする市民とは、2)地域振興を目指す農業従事者から見た農業問題、3)地域のエネルギー問題、4)医療現場の現状報告、となっており第11回本田先生による医療の地域間格差と埼玉県全域の現状報告は、3・11以降自然災害対策だけに焦点が移って行く日常生活に、違った視点の課題として医療現場の真実の声を聴くことになり、増える一方の医療ニーズと、追いつかない医療行政をどうして行きたいか、の問いに市民がどのように声を上げていくのかの問題提起を迫られたと考えています。
 埼玉県の医師不足の実態や、医師不足と医師の偏在が同時進行で起こっていること、勤務医の多重な過重労働、医療提供の量・質の低下、国民皆保険という幻想、全てがマイナス回転していることで、患者・医師・医療従事者が共に生きる価値観を共有できない危機感は、3.11で被災地が見せた絆とは何だったのかを、思い起こさずにはいられない。
 行政がいう中央省庁との乖離がある以上、地方自治体として市民との協働作業を明確に指示・要求する指導力発揮が必然ではないだろうか。
【西川 孝一】

医師不足ということを改めて実感しました。特に埼玉県は医師不足が深刻であるという事がわかりました。本田先生のお話を聞き、医師の皆さんの労働形態の過酷さなどを知る事ができ勤務医の大変さを痛感しました。しかし学会などでは医師の増員は必要ではないなどの意見があり医師の増員に理解が得られていないなど、この世界でも既得権争いがあるのだということもわかりました。
 また、テレビや新聞、雑誌等メディアの情報操作により私たちも間違った認識をさせられているというお話を聞きました。一部分だけを取り上げ、医師は足りている、諸外国のデータとの比較を都合の良い部分だけを取り上げるなどの情報操作があることも理解出来ました。
 このようなお話を聞いて思うことは、早々に何らかの手を打っておかないと将来医師不足が、より一層深刻になってしまうという事です。
 また、看護師不足、確保も重要であると再認識しました。わたしたちのグループでは、市立病院の看護師の皆さんはとても忙しそうにしている、看護師の仕事を看護師以外の人に分担して、負担を軽減してあげる方法もあるのでは、という意見がありました。一方、看護師の仕事を分担していまうと、責任問題の所在や看護の質が低下してしまうのではないか、といった不安の声もありました。
 また、救急車の適正な呼び方などを市民へもっと周知し、タクシー代わりにならないように徹底すべきとの意見がありました。
 総括としては、日本の医療の現状を市民がもっと知るべきである。地域にもどってもっと広報すべきと思いました。そして医療や病院、救急車の利用に対しての、地域のしくみや行政サービスのしくみを、時間をかけて構築していくべきであり、患者の意識を変えて行かなくてはいけないと感じました。
【武藤 智】

今回の参加の電話かけでは、テーマとサブタイトルを言って、病院長がこのように(病院に求めるだけでは解決しない)私たち市民に提案しているので、市民の立場で一緒に考えましょうと呼びかけをした。相手方の人の多くはテーマとサブタイトルから大体のイメージを持っており、大切なことなので参加したいと思っている人が多かった。
ただ、私がイメージしていたことは、救急車をタクシー代わりに使うような市民のことや、何でも市立病院に行けば何とかなるという市民意識、治療の結果死亡や副作用をもたらす事故発生時の対応をどう考えるかという、病院と市民の相互関係にポイントを置いたものであった。
本田先生の話は、医師数が不足しているということを、様々な側面からデータを示して訴えるものであり、この問題は医療分野に特定される問題ではなく、日本社会のあらゆる分野に通底する問題であることを示すものであった。情報をどのように読み取り、どう判断するかという一人ひとりの思考形態の問題である。
私は「医療費亡国論」を読んではおらず、社会の高齢化により深刻な問題になることが想定されるという程度の理解であったが、この発想を基に展開する医療政策が最近取り沙汰される緊急医療事故の問題に深くかかわっていることを知った。そして実際に起きた事故の原因とその背景について、マスコミ報道で分かったように思っていたことも事実である。本田先生が言う“甘ちゃん”であるが、ここにいたのでは社会を良くすることはできない。
今取り組んでいるローカルマニフェストの検証に関して、現場がどうなっているかのレベルをキープして取り組みたい。
【岡村 宣夫】

済生会栗橋病院の本田宏先生の講演が以前にも聞いたことがありますが、今回講演を聞いて医師不足の解消になかなか至らない理由が分かりました。
医師不足を解消するために議論、これを行なう国の審議会のメンバーが医師不足を感じてはいない大学病院や大規模病院の関係者で構成されているということです。
問題意識を持たなかったり、あるいは本来の問題とは別のことを問題視する、大学病院や大規模病院の関係者がいくら議論をしても問題解決には至りません。このことは全く畑の違う分野での問題でも結構あることですし、単に国だけの話ではなく、市レベルでも往々にしてあります。
この部分に抜本的にメスを入れなければ、医師不足の解消には手がつかないのではないかとも感じました。しかし、そのことを声高に叫んでも直接医師不足が解消されるわけではないので、現状の人員の中でどのように日本の都市部から人口の希薄な地域まで含めて各地の医療環境を再構築するかという議論をする必要があると思います。
【菊地 貴光】

先の衆議院議員選挙に引き続き、6月の都議選でも極めて低い投票率が続いていています。恐らく7月の参議院選挙でも同じ傾向になることが予測されます。
何故市民は投票場に足を運ばないのか、運べないのか。
「政治不信」がそうさせている、と言う単純な事ではないような気がします。
もし、「政治不信」が決定的な原因だとすれば、3年半間前の政権交代の衆議院選挙から今日までの、政党活動の未成熟は勿論のことですが、むしろ市民の政治参加の問題を抜きに語ることはできないのではないでしょうか。
 それは、この間政経セミナーが一貫してテーマとしてきた「越谷はどうなっており、どうなりうるのか」を、様々な領域での課題を取り上げて全体化してきた事に、大きな蓄積を見出すことが出来ます。
 つまり、これまで市民は「受益と負担」の問題を、一方的に政治や行政に白紙委任してきたことの現実の進行に対して、どう受け止めるか、と言う問題です。
 任せて文句を言う習慣から、引き受けて責任を持つ市民に、を自らどの様に受け止め、小さな改善運動を日常的にどこまで積み上げてきたのか、その度合いに応じて、市民自身の責任と役割の自覚も変遷することになります。
 確かに政党がこの様な時代認識のないまま、市民が最も選択肢を必要としている、消費税と社会保障の改革やエネルギー問題や憲法問題など、どれをとっても国や地域や市民の生き方に関わる課題を先送りにしたため、争点の設定ができない状態であることは確かです。
東京都議選などは、自治体選挙であるにも拘わらず、一切自治の現場の課題や方向性が提起されないのですから、棄権と言う選択肢か、お任せの一票となるのかは当然のことです。
しかし、この間の全国の市長選挙で市民の責任と役割を正面から問う、候補者がいれば、「中央との太いパイプ論」を振りかざす政権与党推薦の候補者は当選出来ていないのも事実です。
 投票率も前回選挙から軒並み上昇したうえ、大差がついた選挙結果となっています。
ここから、学ぶ教訓は「自治の現場が、未来の世代にとってどの様になっていくのか。その中で主体的市民参加をどう進めていくのか」を日常的に市民自身が学び、実践し、総括し、蓄積していく様々なパターンを作り出すことに他なりません。
今回の第11回の特別講座では、医療の現場での医師不足や既得権との軋轢など、詳しく提起して頂きました。これを受けてそれでは市民はどの様に、この問題に取り組むのか、我々の課題としてさらに地域共同体の再生と結びつけて活動を展開することを求めています。
【白川 秀嗣】

第10回特別講座参加者感想文

「エネルギーの地産消へ、おひさまファンドで発電、運営を自分たちの手で」

・市民共同発電に市が何も考えていないわけではないことがわかった。むしろ担い手となる市民と出会えていない我々の側の力量にも問題があると感じた。
・従来の再生可能エネルギー推進策が、持ち家で設備を設置できる財力のある層に対象が限られているということをあらためて認識し、あらゆる人が参加できる形(出資など)を構築していく必要があると感じた。「市民は機会があればやりたいと考えている」という参加者の意見が印象的だった。
・講師の秋山さんが、議会や議員との接触が日常的にほとんどないというのが意外だった。
【辻浩司】

今回の特別講座では、まさに今後のエネルギー問題の”見えるか化”ができたかと思います。
しかしながら、同時にその問題解決には多くのハードルがあることを認識しました。
自家発電の売電を市民が積極的に進めることにより他方では、恩恵を受けられないどころか買電価格の高騰というような、いわばマイナスの恩恵を受けてしまい市民も出てくる。
この問題は、今特に言われている”選択”と”集中”が必要であると感じました。
公共の福祉に資する判断をしっかりと行うためにも、市民一人一人の当事者意識が必要であることは明白ですが、他方では一定のコンセンサスがとれた方法論においては、市民・議会・行政が覚悟を持った対応をしていかなくては物事を進めていくことは難しい。
【大塚洋幸】

反原発運動からの新しいアクセスの仕方で、非常に受け入れやすい内容だったと感じています。旧来の活動のように悪い部分をついて広げていくやり方では限界があり、一般の人には受け入れがたかった事が、だれにでも参加でき、自分達の未来を子供たちと一緒に選択していく姿には理想的な物を感じています。
その中でファンドなどの活用で地域にいかにお金を落としていくのかを模索している事が分かりましたが、今のおひさまエネルギーの活動では資金調達面の課題よりも、出資者、受益者、地域の結びつきをいっそう強めた方がいいと感じます。具合的には1年に一回のエコの勉強会に地域のお祭りやイベントを組み合わせて懇親会のような形で行い、金銭的サービス以外での利益を分配することが望ましいと思います。
太陽光発電事業は参加に資金面や知識面で障害が多く簡単では無いため嫌煙しがちだったが、今回の形であれば自分でも入っていく事が出来るという話題から、だれでも参加できる「しくみ」の重要性が話された。その中でファンドなどによる、お金だけでの参加に異論を投じたところ、受け取る受益が金銭的な物よりも、子供たちからの絵葉書や、懇親会などによる、つながりを重視する方に考え方が運び「豊かさ」の感覚に新しい視点が加わりました。
全体を通していえることは、コンセントの先にある物が共通認識となり、今までの無関心への反省、そして、これからのエネルギーの在り方には「自分達で選択する」が総論で合意されたと感じています。
【岡田英夫】

お話を聞いていて、まず思ったことは、東日本大震災が発生するまでは、どこで電気がつくられているかなど考えたことがなかったことを再確認しました。多少の節電意識はあったものの、計画停電などを経験し、電気について以前とは考え方が変わってきていると思う。公共施設や町中そしてデパートなど以前に比べ照明などを落としているが、それにも違和感を感じなくなってきています。
セミナーを聞き、みなさんの意見を聞き感じたことは、再生可能エネルギーには関心があり、そして太陽光発電については積極的であると感じました。しかし、自宅の屋根に太陽光パネルを設置するとなると費用面などでなかなか設置にまでは至らない事もあると感じました。しかし、手法はいろいろ考えられますが、これだけ関心のある方々がいる、そして市民にもっともっと広報をすれば賛同がえられるのではないかと感じました。たとえ一人1,000円でも寄付をいただき、共同で太陽光発電に参加できることが、見えてきたと思いました。そして、保育園や学校などに設置し環境教育にも活用できることは素晴らしいと感じました。
お話の中にもありましたが、だれもが参加できるシステムの構築と地域の理解がいただける周知・広報が必要だと感じました。
【武藤智】

今回のテーマである「エネルギーの地産地消」ということについて、政経セミナーのマニフェストの1つである「新しい公共」との関係で考えたいと思います。
従来は、10電力会社やその他の発電会社が発電・送電を独占し、ごく一部の自家発電(企業・個人)以外は電力会社から電気を買うことを余儀なくされてきました。つまり、公共サービスを官が独占的に提供をしてきたといえます。
 それが、太陽光発電の個人での設置や、事業者による発電・売電の取組みが急速に進み出しました。きっかけは東日本大震災ですが、公共サービスの担い手に民が育ち始めたといえます。
 しかしながら、この動きが今後も拡大をしていくかというと、2つの問題があろうかと考えます。
 1つには、実際の太陽光発電の設備が、本当に長期間利用が可能かどうか、メーカーが長期間の保証を本当にし続けることが出来るかどうか(メーカー、あるいは設置業者が今後の業界の流れの中で将来も存在するかどうかという点も含めて)、という点です。
 もう1つには、もし単純に太陽光発電を導入すると利益が出るだとか、あるいは単純な脱原発という発想などから、太陽光発電やそれ以外の再生可能エネルギーを我が家にも導入しようということでは将来的には拡大はどこかの時点で止まる可能性があるのではないか、という点です。これは動機が単純な場合、何かの要因で考えが簡単に変わることがあるからです。
 新しい公共を考える際に、官から民への動きは、民の側の自発的な意識変革があって始めてその実効性が高まると考えます。官がお膳立てをして、民へ委託をするのではなく、民の側がそれを必要としだからそれに取組む、という構図でなければ本当の意味では広がりません。
 その意味では、買取価格が高いからとか補助金が出るからとかの、いわば官の側の都合に応じるという観点での動機ではなく、将来の社会のあり方を考えて温室効果ガスの排出抑制に個人としても取り組んで持続可能な社会づくりを目指そうだとかの意識、を持つことが重要であるし、そういった視点を広めることが大切であると思います。
 特に、セミナーに参加した人たちからは、自分達も何かをしたいという気持ちがあるがどうすれば良いか分からないという声も聞きました。こういうことが出来ますよ、こういうことをしたらどうですか、と単に行動内容だけを教えて実行してもらうのではなく、それをするとどうなるか、という意義も一緒に説明をすると、より動機が高まり考えが広まっていくだろうと思います。
 どちらかといえば今回は、「新しい豊さ」的なセミナーであると考えた一般会員の方も多くいるかと思いますが、「新しい公共」的な視点を持つと自分たちの関わり方についての考えも変わるのではないかと感じました。
【菊地貴光】

今回の特別講座「エネルギーの地産地消へ」についての感想ですが初めのうちは太陽光のセールスを聴いている感じがしました。ですが保育園への設置、環境教育、節電という事から「もったいない」、「当たり前ではない」と云う事を伝えたいのではと感じました。又、幼少期から「もったいない」、「当たり前ではない」と云う事を伝える事で子供たちの未来へ種を植えているのではとも感じました。しかし、太陽光を設置した際の電気料金の比較のお話を聞いた際、受け止め手によっては金銭への損得で判断するのではとも思いました。後、運営は寄附で行っているお話を聞いた時、太陽光のメーカーからも寄附はあるのかと疑問もありました。太陽光設置の補助金については予算額を公表し、太陽光、風力等どの発電方法に補助金をつけるのかパブリックコメントを取ってみるのも面白いのではと思います。グループ討議については座長の私の力不足により発表者がなかなか決まりませんでした。又、私自身印象に残っている意見として「皆さんは太陽光を設置すると電気料金が安くなる上、売電により収入があるのに太陽光を設置しようと思わないのは考えられない。」と云った様な意見がありました。後、「太陽光設置に対し補助金をつけるなら越谷市内の業者に依頼する条件をつけたら事業税納入等で市内でお金がまわるのでは」とか、「大手ハウスメーカーは自社の物件にあった太陽光がある為、市内業者への依頼は難しいのでは」等の意見もありました。最後に目先の金銭的損得勘定だけで判断するのではなく、総括原価方式等の電気料金の仕組みを知ったり、自分はどれだけの電気を必要とするのか考える事も必要と感じます。又、前に聴いた原発のある場所に住む家族の子の話ですが「お父さんは出稼ぎで家族揃ってご飯を食べられなかったが原発のおかげで、お父さんも帰ってきて家族揃ってご飯が食べられる様になり嬉しい。」と云う事も知りました。この事から電気に関しては太陽光が良いのかどうなのか、得する得しない等、白か黒、二極論で判断するのではなく様々な事柄を踏まえて考えなくてはならないのではと改めて思いました。
【小口高寛】

1)3.11以降、国内のすべての生活に関わる変化が否応なく従来のままでよかったのかを問い直したと思います。越谷においても、旧来のシステムを見直し、うまくコンパクトにしていく政策への変換が求められているのだと考えられます。
  その意味で越谷における自然エネルギーへの取り組みは、他地区のモデルになるほど、積極的な動きを示しているとは言えず、むしろ一応取り組んでいるとして、その序列から遅れないような保険を掛けた状態ではないかと映りました。
2)第2期の講座は、地域力・市民力のありのままを可視化して、越谷においてすでにその努力をスタートさせている観光農業の実態とその思いを共有しました。
  今回、太陽光発電への取り組みへの実態は、さらに3.11で問われた市民自身の責任と役割という関点から旧来のシステムから、新しいシステムへの転換を考えるというところでは、切り口の違いはあるとしても共通するものと考えています。
3)今回も前回同様、講師にその道で努力している専門分野のスピーカーと行政の担当責任者が同列で市民との対話に参加するという分かり易さが出たと考えています。
  また、後半のグループディスカッションでは、秋元講師が参加した関係もあり
  さらに詳しく管理・運営面の質問や課題にもお答えいただきました。
  短時間ではありましたが、司会としてマネージできたか、参加者の思いを聞けたかが、さらに課題として残っています。
【西川孝一】

まちづくりの視点から、特に地域の中でお金を回すということが大変参考になった。グループ討議の中で、約半数の人が太陽光発電を設置又は設置検討していることが分かり、大変驚いた。そこまで実行する所に進んでいるとは思っておらず、討議がうまく進むかどうか心配していたが、個別の住宅での設置対応が進み、市民共同発電所への取り組みが検討されているので、話が前に進んで行った。設備投資の回収に何年かかるかが設置判断のポイントだが、そこが固定価格買取制度の導入で早期化されていることが大きい。自治会館への太陽光発電の設置を考えている人がいて、これからの自治会内での合意形成に注目したい。
【岡村宣夫】

まず、原子力発電が良くないから太陽光発電に切り替えるのではなく、エネルギーを自らで作ろうとしている姿勢が、講義後のディスカッションにて世代や思想、会派を越えて考えることが出来良かった。
また、エネルギーを作ることのみならず、環境教育に繋げている点から、幼少の折からエネルギーについて考える場が出来、そこから保護者、地域住民と繋がり、地域エココミュニティが作り上げられて行くことは理想だと思う。
アパートやマンション、賃貸などに居住し、太陽光発電パネルが設置したくとも出来ない方も利用出来、設置出来るにしろ費用が膨大なので、自治会館などに住民がお金を出し合って付けるというのは良い。しかし越谷市だけではないが、そもそも自治会に参加していない住居者も多い中、参加者を集めるのは容易ではないだろう。高齢化が進む今、自身だけで設置から収益を上げるまでの道程を調べ考えることは難しい。行政側が出向いて自治会などへ呼び掛け、地域で発電することの必要性や方法などの説明支援をすることは必要だろう。政経セミナーとしては、今回この会に参加して興味を持ちやってみたいと思った方がいたようなので、講演状況の録画をインターネットで流したり、頂いた感想を公開することが、次回参加者に呼び掛ける際に利用できるのではないだろうか。
【名倉瞳】